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ゆきゆきて神軍 / 原一男

ゆきゆきて、神軍

早稲田松竹で。10年以上ぶりに見たんだけど、20歳の俺、この映画のこと全然わかってなかったみたい。

恥ずかしながら、今さら衝撃を受けました。
戦争の内側が、奥崎氏の強烈なキャラクターとごちゃまぜになりながら暴かれていく、奇跡のようなドキュメンタリーだった。奥崎氏もまた、戦争の犠牲者なのだろう。戦争体験なしに、こんなめちゃくちゃな人間はありえない。

yukiyuklibd1111a1のコピー

奥崎氏に対するつっこみは↓このページで見事に行われている。相当面白いので一読を。

後日談がライナーノートに掲載されていたので、下記に一部抜粋してみた。

「原さん、この映画はもうやめましょう」
「私が妹尾にやられとっても平気で撮影なさってる方とは一緒に行動できません。
 私はあのとき本当に命が危なかったんですよ。(そんなことはないと思う)
 原さんは人の命が危ない時にも撮影なさっていてキャメラマンとしては立派だな、
 と感心しました。しかしキャメラマンとしては立派でも人間としては駄目だと思うんです」
 (いや、今回に限って言うなら奥崎氏の方がはるかに駄目だと思う)
「この映画の主人公は私ですよ、私がご本尊なんですよ、そのご本尊がやられてるシーン
 なんて格好悪くて映画を見る人は喜んでくれませんよ」(いや、一番面白かった)

この数刻後、映画中止が決まってうなだれている監督の元へ再び奥崎氏が現れてこう宣い、
監督を心底唖然とさせたと言う。

「覆水盆にかえらず、という言葉がありますが、私は覆水盆にかえせる、と思うですね」

かくして撮影は続行されることになった。




この映画について手塚治虫が『キネ旬』に書いたコラムに関する記事を引用。

手塚のお父さんはフィリピンの奥地に行って、空腹の毎日を暮らしていたが、本当に何もなくなると誰かがちゃんと「野豚」を捕まえてきて食べさせてくれたという。お父さんは何かを見てしまった、そしてそれを隠しているような怯えをみせたという。それがこの映画を観て何だか答が分かったというのです。

その真相が核心に近づくに従ってぼくは、オヤジのあの日の顔がちらついて居たたまれなかった。
太平洋戦争で、おそらく、もっとも悲惨なできごとは、こういったカニバリズムが常識化されてしまったことだろう。
いくつかの小説で、われわれは人肉を食べて飢えを凌いだという事実を知りつつも、それが活字の世界だという一種の安心感というか距離感をもっていた。
だが映像というリアリティが、この距離を一気に縮め、恐怖と絶望を現実にひき戻した。
血しぶき映画や全国映画のしらじらしさは、この「ゆきゆきて、神軍」の打ちのめすようなドキュメンタリーの暗黒の前には態をなさないだろう。
イデオロギーとかテーマ性を云々する前に、このおろかしく悲惨な人間という生きものを描き出した企画と、監督はじめスタッフに心から敬意を表する。
オヤジはすでにこの映画を観る存在ではない。
だがこれはオヤジの遺言がわりの映画だったような気がしてならない。



僕自身、自分の親のことをそんな風に話すという手塚治虫の正直さ、素直さに感動したわけですが、手塚治虫は好評だったエッセーをこの映画の感想文で打ち切ってしまいました。やっぱりショックだったんだと思います。





hama37.jpg
「人肉はみんな食べたよ 今日は白んぼか、黒んぼか言いながら」


↓「キチガイ」とか連発してます。


2009年03月05日 | Comments(0) | Trackback(0) | 映画
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