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動くな、死ね、甦れ! / ヴィターリー・カネフスキー

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『動くな、死ね、甦れ!』は、かけねなしの傑作でありこれを見逃すことは生涯の損失につながるだろう―蓮實重彦(映画評論家)


↑俺、これ何回引用してんだよ。

アンコール上映、最終日にすべり込み。この日も満席だった。

いやーこんなに狂っている映画だとは。
映画も狂っているが、狂うということ自体がテーマにもなっている。なんだあの恐ろしいラスト。
関係ない通行人のわけわからんアップとか。

子供の甲高い声が鳴り止まない映画であり、その子供のいたずらが大事故を巻き起こすシーンで唐突に無音になる。そこで我々は彼のスリルを同じように味わうのです。

日本軍や日本語の歌が出てくるのだが、ここでこの映画が現在放送中のドラマ『不毛地帯』の最初と同じ時代背景であることに気づいた。


『ひとりで生きる』も見るべきだったなー。

また蓮見先生の面白い文章を見つけたので貼っておきます。

 誰にも一本の処女作があると思うのは、途方もない勘違いである。たまたま一本目の作品を撮った監督など掃いて捨てるほどいるが、いきなり映画の地平を揺るがせるみずみずしい処女作を撮ってしまった映画作家は、数えるほどしか存在しないからだ。
 例えば、傑作と呼ばれる『市民ケーン』でさえ、それはあくまでオーソン・ウェルズの第一作にすぎず、ニコラス・レイの処女作『夜の人々』に較べてみればその孤独なみずみずしさは遥かに劣る。ジャック・ロジエの処女作『アデュー・フィリピーヌ』が、ゴダールの『勝手にしやがれ』やトリュフォーの『大人は判ってくれない』に対して決定的な優位に立っているのも、同じ理由による。こうして、ベロッキオの『ポケットの中のにぎり拳』、カネフスキーの『動くな、死ね、甦れ!』、ジャ・ジャンクーの『一瞬の夢』など、ごくかぎられた数の処女作だけが、嫉妬を受けとめて輝く排他的な星座をかたちづくることになる。
――『子猫をお願い』作品紹介(蓮實重彦)より 

2010年02月02日 | 映画

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